●37話
扉の向こうは、薄暗かった。
照明がないので、当然かもしれない。
ただ、玄関らしいそこは、たくさんの人をも、一気に迎えれるかのように、とても広い。
サンダルを脱いで、たらいの水を使い、足の汚れを拭ったのはフラニーだけだった。
マムルークの人達は、靴を脱いで中にはいる習慣らしいのが、ここで分かる。
被り物を取ったフラニーは、黒い艶やかな髪を複雑に編みこんだ髪型をしていた。
出迎えた女中らしき人の髪の色も黒く、フラニー程凝った感じではないものの、結われている。
たらいの水を持っている少女の髪の色も黒。彼女の髪は後で一括りにされていた。
同行してきた男達の髪の色も同じだった。男等の髪型は、短く切られていた。
どちらにしても、顔立ちは黄色人種にしては白く、鼻も高い。瞳はパッチリ二重で、大造りな雰囲気は、どちらかと言えば、ギリシア・ローマ系・・・みたいな雰囲気だ。
(でも服装はアジアンテイストなんだよね~~。)
そんな事を思うものの、ここは異世界なのだ。
史絵奈の住んでいた世界の価値観を、ここに当てはめるのは、お角違いな話のはずだった。
サンダルを脱いでそれを置く、げた箱のような場所もある。
段差のある木の床は、そのまま廊下へと続いていた。
靴を脱ぐ習性などは、まさに日本特有のものだ。
「シエナ!」
コソッと耳打ちされてハッとなる。
言葉の響きは、もちろんマムルーク語な感じだ。
マムルークの人達がいる前では、かの国の言葉がでてくるのかもしれなかった。
言葉の件はともかく・・。
目の前に出迎えの少女が立っていて、黒ずんだ布を差し出していたのだ。
あわててもらうと、それは湿っていた。
周囲に目を配ると、同行の男達もぞうきんの様なそれを手に、足を拭いているのである。
サンダルは下駄箱に置いたようだった。
「ちょっとこっち来い・・。」
楓吾はナビを木の床の上に横たえてから、素早く寄って来る。
あっという間に靴を取られた。
そのまま服の中に手を入れてくるのだ。
ビックリする間もなく、靴本体を布越しに手渡される。
「これはヤバいだろ、ポケットにでも入らないか?」
耳元でささやかれてハッとなる。
「フィーゴ様?」
楓吾の様子に、フラニーが首をかしげて問うた瞬間。
「うぇーん。」
目を覚ましたナビが声を上げたので助かった。
周囲の視線が、ナビに向かう。
そのすきに、史絵奈は無理矢理ブレザーのポケットに、靴を押しこんだ。
フラニーから譲りうけた服は、いろんな意味でも役に立つ。
今までは大きめの布のおかげで隠れていた靴も、脱いで下駄箱に置いたりすれば即、異郷まるだしの代物だったからだ。
楓吾の靴は、とっくの昔にダメになっていたのだろう。裸足だったので、何の工夫をしなくてすんだ。
「ナビ。目を覚ませ。ついたぞ。」
楓吾が駆け寄ってささやきかけると、ナビは寝ぼけた顔のままでも、
「ほんとう?」
言って起き上がってくる。
くどいようだが、楓吾が言った言葉も、ナビが答えた言葉も、マムルーク語だ。
史絵奈はそれを確認してから、慌てて自分の足を拭いて、ナビの足も拭いてやるのだった。
ナビの足は、裸足だった。
(やだ私、今頃こんな事に気付いている。)
もし裸足で歩いていたなら、今頃柔らかな彼女の足の裏は、大変な事になっているはずだった。
(よかった・・風海くんがおぶってくれて・・・。)
つくづく思って楓吾の姿を確認すると、彼も手渡されたぞうきんで足を拭いていた。
元の楓吾の足がどのようなものだったのかは、分からない。
けれど今の彼の足首は、日頃の生活を物語るかのように、黒ずんで皮も厚くゴツゴツした感じになっていたのだった。
(私・・・本当に風海君に世話になってばかり・・。)
ありがとう・・。
感謝の言葉を、今さら述べようとしても場所が悪い。
「フィーゴ様。まずは御館様に面談いただかなくてはなりませんの。」
足を拭き終えた楓吾の姿を確認してからの、フラニーの言葉だった。
「もちろん。挨拶させて頂きます。」
真剣な面持ちで楓吾は答える。
フラニーがいくら雇うのをOKしたとしても、ここの主がNOといえば、即元の生活に逆戻りになってしまうからだ。
楓吾が答えるのを合図に、一行は廊下を進んでゆくのである。
二人の男達は、まるでフラニーを護衛するかのように側にいて、共に歩いた。