●34話
楓吾が降り立った場所は、大きな湖の側だった。
湖面は蒼く、穏やかな波がサワサワとたなびく。ヒンヤリとした冷気が、立ちあがっていた。
「綺麗な湖・・。」
史絵奈がポツリとつぶやくと、
「そうだろ。この湖を見つけてから、ここを目印にあちこち狩りに回っていたんだ。」
言って、軽くひざまずいて湖の水を飲む。
その仕草は、まるでいつもやっている風だったので、狩りの合間に、ここで喉を潤していたのだろうと思った。
喉の渇きをいやして、さっぱりしたらしく、
「待ち合わせの時間にはまだ早いんだが、喜佐に説明しておこうと思って・・。
口裏合わせといた方がいいだろう?」
と、いきなり話を振ってきた。
その後、詳しい話をしだすのだが、マムルークの人を助けた際の話をし始めた。
「お礼がしたい。」と言われて、
「生活に困っている。」
と答えたらしい。
「では、私どもの村にいらしてください。仕事の世話をしましょう。」
との話を受けて、相手側の好意に乗った瞬間、楓吾は史絵奈が持つフォルダの存在を、意外にも重大視したらしかった。
フォルダを持つ以上、巫女姫の捜索隊に狙われる可能性を考えたらしいのだ。万が一不審に思われて突き出されでもしたら、楓吾達に逃げ場がない。
捕まった後、どう利用されるか不安に思った彼は、自分たちの事を着色して説明する必要があると思った。と語る。
マムルークの人達に不審がられぬ様に・・・。
楓吾が兄で、史絵奈は妹という設定で通し、両親が亡くなったおかげで、村から出て生活するようになった。
お互いまだ小さな頃の話で、そのせいで出身の村の名前などの事がおぼろで、説明できない。
なんて設定を相手に話したらしいのだ。
その話は、いささか無理矢理にこぎつけたような感じだったが、自分達には、マムルークの歴史。しきたりなど身についていないのを、説明付けるのには丁度いい理由としたらしい。
真実を隠して“マムルークの人達に紛れる”。
楓吾の説明を聞いて、人助けをした後の混乱した短い時間に、そういった背景を作り上げ、もっともらしく相手方に説明した楓吾は、やはりさすがなものだ。
思って、フンフン頷いて納得した顔をする史絵奈に表情を見て、楓吾もコクンとうなずき、
「何も知らない・・孤児だという事で、押し通そう。喜佐もその事、頭の中に入れておいてくれ。」
言ってから、ナビの姿が目に入ったらしく、頭をガシガシかきむしって、
「しまったあ。ナビの存在があったんだ。ナビはどうしよう・・。
俺達の子とでもするか?」
なんて、真顔になって言ってくるのだから、史絵奈は真っ赤になって
「私達兄妹なんでしょう?兄妹で子供つくるの。さすがにマムルークでも禁忌じゃない?」
と返すと、
「さすがにそうだよなあ。」
と答えてくる。
「その設定、ナビは嬉しいよ。カザミクンとシエナの子供。
パパ、ママ。」
二人を指差して、無邪気にいうものだから、そこで初めて自分の言った事を実感したらしい。楓吾は耳まで赤くなる。
「・・・ナビも俺達と同じように村から出てきて、泣いている所を俺が拾った事にしよう。もちろん。村の名前もナビだってわからない・・な。
流行り病で絶滅した村なんて、都合のいいのがあればいいんだがな・・。」
「魔法を使えば、そんな村あったかどうか調べれると思うんだけど・・。」
「何だ、早くそれを言ってくれよ。」
「でも魔法の痕跡が残るから、余計ヤバいの。
辿られる可能性があるから。巫女姫を捜索している人がいるのだとしたら・・そっちの可能性が高いと思うけど、自分の居場所を、大声で知らせているようなものになっちゃうの。
昨日だったら出来たのに。封呪の魔法をかけた小屋の中だったら、簡単だったんだよ。」
「結構面倒くさい代物なんだな。巫女姫の魔法は・・。」
「便利なんだけれど、強大だからね。正直ナビだって、使えこなせていないのが現実。」
見た目とのギャップを感じるのが、こんな時だ。あどけない幼女の姿で、彼女は驚くほど、老成したコメントを吐く。
「・・・まあいいじゃない。魔法に頼らずになんとかやってゆこうよ。」
史絵奈が言うと、楓吾もうなずく。そこへ、ナビが口をはさんだ。
「大丈夫。いざという時は、ナビが何とかしてあげるよ。確か飛遠の術とか何とか、いろんなのを使って、逃がしてあげるから。」
「思いっきりバレるんだろ?」
「シエナとカザミクンを置いたら、ナビだけ違う場所に行くから、シエナ達は大丈夫だよ。」
「そんな事させられないじゃない。」
こんな小さな子供を・・。自分達の安全のために犠牲にするなんて。
目を見開いて怒鳴る史絵奈に、楓吾も賛同らしい。
ガクッと肩を落として、
(お前もかよ・・。)
と小さくつぶやいてから、
「ナビまで自己犠牲の精神はヤメてくれ。俺も喜佐も、そこまでして自分が安全でいたくはないから。」
とはっきり言い切ると、ナビはクルクル動く瞳を動かして、首をかしげてから、とても嬉しそうな顔をした。
「ナビも仲間?だったら、とっても嬉しいよ。」
なんて言うものだから、
「仲間に決まってるじゃない。」
ポンと頭を軽く叩いて、ナビをギューと抱きしめる。そんな史絵奈の姿を目を細めて見つめた楓吾は、手に持っていた布に気付いて
「喜佐。俺達孤児なんだから、お前の格好はおかしいんだよな。制服の上からでもいいから、これを羽織ってごまかしてほしいんだ。」
と、渡してくる。
言われて自分の服装を見降ろして納得。
楓吾は狩りに出る毎日を過ごしたおかげで、制服はあちこち裂けて、かろうじて体に張り付いている状態だ。
原型すらとどめない格好は布と化して、異郷どころか国境を超えてしまっている。
対する史絵奈は、小屋の中で息をひそめる生活をしたおかげで、ブレザーとスカートは綺麗なままだ。
さすがにこの格好は、それだけで相手の不審をかうだろう。
布をもらったのも、訳があったのだ。
「そうだね。私のこの格好はヤバいよね。」
答えて素直に布をかぶって・・とても大きな形だったので、制服はきれいさっぱり隠れてくれた。
「本当は、ここで制服を処分した方がいいんだけれど、さすがにそうすると寒いだろう?
中の服は、マムルークの人達に目に触れないうちに、後で処分したほうがいいな。」
なんて、考えこんで言ってくるので、少し寂しい気持ちになる。
史絵奈の制服は、自分達がいた世界のものだったから・・・。
これを手放すとなると、さらに元の世界に戻れなくなってしまうような、そんな理由のない不安がわき上がってくる。
(けれど、仕方ないよね・・。)
心の中でつぶやいた時、楓吾がナビを見て言っていた。
「ナビは・・仕方ないな。代わりの衣装がないから・・巫女姫みたいな恰好だけど、かえって違和感なくていいかもしれない。」
「うん。この格好は、マムルークの衣装だから大丈夫とは思うけど、生地が良すぎるのが難点かもしんない。」
「何だって?」
片眉を上げて言う楓吾に、ナビが首をかしげて、
「だって、この衣装。巫女姫の衣装なんだもん。とても高貴な人しか着れない布だよ。」
「・・・・なぜそれを早くいわない・・・。」
絶句する楓吾に、ナビはケラケラ笑って、
「大丈夫だよ。」
とあっけらかんと答えるものだから、
「大丈夫じゃない。」
史絵奈が怒鳴った。
「風海君。カッター持ってるよね。」
「もちろん。」
「貸して!この布大きいから、ナビの分まで作ってみるわ。」
「できるのか?」
「貫頭衣みたいなものなら、なんとか出来るかも知れない。」
「じゃあ、つくって見よう。待ち合わせは昼過ぎなので、それまでには・・・。」
史絵奈が脱ぐと、直ちに楓吾が
「どのあたりを切ればいい?」
なんて聞いてくる。
「・・・・だいたいこの辺りかなあ。」
ナビの体型を見てから、首をかしげて裾の当たりを指差すと、楓吾は頷きシャーと切り始めた。
あっという間に布は分断されて、ナビに当てるとちょうどいい長さの布が出来上がる。
真ん中を大胆にくり抜き・・・腰紐は、さすがに作れないので、元々来ていたナビの服から借用して、出来上がった服を、ナビの服の上からそのままかぶせた。
袖を作れないのは仕方がない。それでも中の衣装が目立たなくなったナビの様子を見て、
「何とかなったなあ。」
フーと、ため息をついて楓吾はつぶやくと、ナビは嬉しそうな顔をして、
「ナビもシエナと一緒ぉー。一緒だあ。」
ピョンピョン飛び跳ねながら走り回るのである。思わず史絵奈が
「ナビ!湖面に近づいたら落ちちゃうわよ!」
なんて怒鳴って追いかけ回す。
キャーキャー言ってナビが逃げる。あっという間に追いついて、こっちに引き返してくる史絵奈とナビの姿を見つめた楓吾は、柔らかい笑みを浮かべていた。