●10話
いきなり目前に、楓吾の背中が来るので面食らう史絵奈をよそに、
「あんた何者だ。」
と、落ちてきた女性に向かって話している声が鋭く低い。
サラサラ・・。と、衣擦れの音。女性は、どうやら立ち上がったらしい。
「・・・。」
と、女性の返事らしい声がするのだが、小さすぎて聞こえない。
おまけに楓吾がすぐ目前に立ちはだかり、左手をソッと、史絵奈の体に置いているせいで、全然女性の姿が見えないのだ。
楓吾の肩越しに覗き込もうと、動く史絵奈に気づいた楓吾が、ものすごい顔をして睨みつけてくる。
(・・・・。)
スゴスゴと彼の後ろにおさまって、楓吾と女性のやり取りに、耳をそばだてて、聞いているしかなかった。
「・・・・。」
ささやく女性の声。次に返事した楓吾の言葉が・・。
「・・・・。」
だった。まるで聞いた事のない言葉を操っているのだ。
(え?・ひょっとして、風海君も異世界の人?)
心の中でつぶやいて、あ然となっている史絵奈をよそに、
「・・・!!」
「!」
と、二人の会話は、徐々に熱を帯びて、ヒートアップする。
突然、楓吾の体が史絵奈の前から消えた。
同時にものすごい衝撃音が、教室内で鳴り響き、一瞬、何が起こったのか、訳が分からなかった。
あわてて周囲を見回して、教室の隅にうずくまって、顔をしかめる彼の姿を認めると、史絵奈は悲鳴に近い声を上げる。
女性に飛ばされたのだ。
「風海くん!」
叫んで彼の側に駆け寄る史絵奈に、楓吾はニッと不敵な笑身を浮かべた。
「相川の血のおかげだ。何ともないぜ。」
小さくつぶやくと、スクッと立ち上がる。けれどもフラフラ。と、体をよろめかせるので、無傷ではなかったのだ。
史絵奈は彼の体を支え、二人で対峙した形になったのだがその間、女性は無表情に立ち尽くしていた。
特徴も衣装と同様国籍不明な感じだ。不気味なくらいに白い肌は、黄色人種ではありえない肌色をしているのに、漆黒の癖のない長い髪は艶やかに輝き、豊かに流れている。
キツイ印象を受ける、つり上がった瞳。通った鼻梁。薄い唇は瞳とあいまって、より酷薄な印象を受けさせた。ほっそりとした体躯を、白い布が覆っている。
彼女の背後に暗闇が、空間を破るように、広がっていた。
『古き神の血を受ける者達よ。吾の願いを聞き届けたまえ。』
いきなり、なぜだか彼女の言葉が理解できた。
『だから、お断りだって言ってんだよ!』
楓吾が怒鳴りかえす。その言葉が、聞いた事のない異国語。でも、彼の言葉も理解できた。
女性は、無表情のまま、ゆったりとした仕草で手をあげる。
まるで印を結ぶかのように手を交差させだす。
楓吾の体が、ビクっとこわばったので、史絵奈は瞬時に手を交差させる意味を理解した。
『ちょっと待ってください!』
自分の口から自然に出てくる言葉も、日本語じゃない。
史絵奈が口を挟んだので、女性は手の動きを止めた。
彼女の口は引き結ばれ、肩はいかった形に盛り上がり、切羽つまった瞳の色をしていた。
(この人も、焦っているんだ・・!。)
このあり得ない状況の中で・・。
『・・・願いって、なんなんですか?』
問いかけた史絵奈に
『聞くな。そんなもの!』
と、楓吾が怒鳴りつける。すると、彼女は交差させた指を再び組み始めたのだ。
今度は史絵奈が、楓吾の前に立つ番だった。
『願いってなんなんですか!』
もう一度叫ぶと彼女は手を止め、ジッと史絵奈を見つめた。
『・・・吾の願いは、その体。・・・譲ってたもれ。』
史絵奈を指差す女性。彼女の背後にはどんどん大きく、広がってゆく虚無があった。
手を触れずに、楓吾を吹き飛ばした事といい、どう見ても普通の人ではない。
ある事が閃く。
『あなたは、ここの状況を分かっているのですか?』
質問してみると、女性は首をかしげて
『この場所は、古き神の中・・。吾の手の者が、崩した結果に現れた磁界。
しばらく後に、ここも崩れよう。その時は、そなた達も共に呑まれる運命・・。』
(なんだか古い言葉遣いで、よく分からない・・。)
ただ、ここは彼女が言う『古き神の中』なのは、確からしい。
そして、しばらく後に、ここも崩れると言った。証拠に、彼女の背後の広がる虚無が、それを表わしている。
『…どうやったら、助かるんですか!』
『方法はただ一つ。吾と共にある事。その体を差し出し、吾の物になれば、生きるのも可能・・。』
『馬鹿言うんじゃねえ!お前、喜佐の体を欲しいだけだろ。見え見えなんだよ!』
『私の体を差し出したら、風海くんを、共に出して助けてくれますか。』
背後で、楓吾の体が、ピクリと震えるのが分かった。
彼女が、口を開いてニヤリとした笑みを浮かべる。
ぞっと背筋が凍りそうなぐらいに、奇妙な笑みだった。
『吾の剣として、共にあるなら。それも可能の事ゆえ・・約束しよう。』
『わかりました。私の体を使ってください。』
「喜佐!またお前、そんな事して!」
呻く楓吾を制止し、史絵奈は、後ろ向いた。
無理にでも笑みを浮かべたものの、泣き笑いのような、中途半端な笑顔になってしまう。
「もともとは、私が風海君を巻き込んでしまった結果だもの・・。あの人と共に助かったとしても、元の世界に戻れるかどうか・・。
わからないけど、あなただけでも、なんとか生き延びて・・。」
小さくつぶやいた途端。彼女の方からものすごい光が差し込んで、目をやられる。
(なんなの?)
光にやられて目が見えないのに、立ち姿の女性の姿は浮かんで見えた。
必死の形相で、見た事のないような激しい手の動きで、どうやら術をかけ始めたらしいのだ。
そして、まるで呪文のような言葉が、彼女の口からはい出してきて・・。
梵字のような、妙な字体の文字だった。
史絵奈の目前で、それは書面のように、一面連なって意味のあるような文章が形作られてゆく。
あっという間に、円筒形を形造った後は、文字が消えた。
そして史絵奈の馴染んだ、黄色い色の袋の形に変化するのだ。
(なんだか、まるでパソコンの画面でよく見る、フォルダみたい・・。)
透過処理がなされているのか、その袋の向こうの景色も、ちゃんと見えていた。
切羽つまった状況なのに、そう思ったら吹き出しそうになる。
フォルダと思ったら、彼女の口から出てくる文字達が、みるみるファイルの形に変化して、フォルダに形よく納まってゆく
それを見て・・。
(あぁ・・そうだ。ここは、私達の住む世界とは違うんだった・・見える映像は、見る人によって違うんだ・・。)
楓吾には黒板の文字がちゃんと見えたのに、史絵奈にはぼやけてしまっていた。史絵奈が見えたキャラクターの袋の柄は、楓吾には見えなかった。
人それぞれ、理解されやすいように、変換されて目に映る世界なのだ。
何故だか、そうゆう風に理解できた。
(・・このフォルダ、一時ファイルみたい・・。)
大容量の情報などは、ダイレクトにパソコンに入ってくることはない。まずは一旦デスクトップや一時ファイル。もしくはダウンロードファイルに保存されて、そこから実行されて内部に入ってゆく。
フォルダは、史絵奈の視界のちょうど左横で留まって、中に入ってこないので、そう判断する。
学校の課外授業で行われた、情報処理の授業でチラリと教わっていたので、史絵奈の脳が、こんな風に映像として映し出しているのだろう・・・。
彼女は、まず、自分の中にある術を、外に出す作業をしていると思っていいはずだった。表に出してから、史絵奈の体を自分のものにする方法をとるつもりなのだ。
しかし光の洪水はすごかった。
はてしなく続くかのように思えた呪術は、とうとう佳境に入っていったらしい。
「rainer!」
に聞こえる声をあげると、あっという間に彼女本体が、史絵奈の目の前に立ちはだかる。
(あぁ・・もうダメだ。取り込まれてしまう!)
目をつぶって、その瞬間がやってくるのを、どうしようもなく立ちつくす、 永遠に近いようにも思えた瞬間。
「ぎゃあー!」
と、ものすごい悲鳴が、耳元で鳴り響いた。
思わず目を開いた時に入ってきた映像は・・・。
何かが起こったのだ。
まずは、七色の光が彼女の体を射すくめていた事だった。
いや、七色の光は、彼女の体の中から出ているものなのだ。
単純に美しい。と思った。・・・けれども、美しいと言っていられない変化が、彼女の体に現れだす。
まずは体の末端が、砂のようにサラサラと分解して床に落ちて行く。
重たげに落ちてゆく自分の体が、信じられない。といいたげに史絵奈を注視する瞳が、印象的だった。
「あぁー!」
断末魔の悲鳴は、途中で途切れた。なぜなら、顔自体もあっという間に砂に溶けてしまったから・・・。
かつて彼女がいた場所に、灰色の砂一盛りがあるのみ。
それを呆然と見詰めた二人に、ボワン。と風が舞い込んでくる。
女性だった砂は、フンワリと浮き上がって、それ自体なかったかのように周囲に霧散した。
風の伊吹は明らかに、こことは違った。
もはや教室の半分以上占めていた虚無から、幾人かの人影が垣間見れた。と、思った瞬間。とんでもない圧力が史絵奈と楓吾に降りかかってくる。
「キャァー!」
とっさに史絵奈は、楓吾の体をしっかりつかんだせいで、二人一緒に引きずりこまれてしまい・・・。