●9話
・・・・話を聞いた楓吾は怒らなかった。
怒りよりも、あっけにとられたようだった。
体の変化を調べる気も失せたようで、彼は脱力したまま、しばらく机に突っ伏している。
椅子に座った史絵奈は史絵奈で、
(風海くん。タバコ吸うんだ・・。)
なんて、ぼんやり心の中でつぶやいたりしている。
楓吾は、髪も染めずに、クラスの中では目立たないグループに入っている生徒だ。確か成績だっていい方で、トップクラスの高校に受験する噂があった。
当然のように、先生方の受けもよかったはずだった。
史絵奈の友人の一人が、楓吾の事をやたら気に入っていて、そんな話をしていたのを思い出す。
(タバコ、吸ってるのがバレたら停学ものだよ。)
元に戻れるかどうか分からないのに、心の中で、彼に問いかけた内容に苦笑する。
やはり彼の存在は、史絵奈に理由のない安心感を与えてくれる。
(生き返ってくれて良かった・・・。)
史絵奈だけで、この状況に陥っていたら、こんなに冷静にいられた筈はなかった。
そういった意味でも、楓吾は史絵奈の事を、無謀だなんて言いたいのだろう。
それを考えると、ちょっとした自己嫌悪に陥ってしまう。
(あの時私、必死だったから・・。)
ブツブツ心の中で言い訳をし、史絵奈はぼんやり教室を見渡していると・・・。
何かがおかしいように感じたのだ。
(?)
何がおかしいか分からない。始めは気のせいだと思った。
けれど、やわらかな日差しを受ける教室の中空あたりの空間が、歪みだして、グルグル小さな渦が湧いて出てくる感じがした。
すべては無音の出来事。
「風海くん!」
史絵奈は叫んで、突っ伏している楓吾の肩を、バシバシ叩いて起こした。
「何?」
いきなり、呼び掛けられて
「渦!・・・渦ができているの!」
指さして、教室の中空を楓吾も認めて
「げっ!」
とうなる。
二人の注視の中、渦は見る間に形作られて、大きくなってゆく。中心部分は暗黒の虚空だ。
ふいに人の指らしきものが、暗黒の中心部分から出てきた。
ヌルリ。
そういった表現がぴったりくるような出現の仕方で、手が、腕が。ヌルヌルと出現する。無音のままで・・・。
人の頭が出てくる。
漆黒の長い髪。ほっそりとした胴。腰。足が教室内に入ってきて・・・。
それは、床に叩きつけられることなく、クルリと体を反転させ、床に落ち着くのだ。
木張りの床の上に横たわった人型は、明らかに女性で、どこかの民族衣装のような布を巻きつけた格好をしていた。
肩の線が上下しているので、生きているくらいは分かる。
ふいに楓吾の体が、落ちてきた女性と史絵奈の間に割って入ってきた。