●5話
それからしばらく、互いの景色の確認をし合った。
その結果、教室のたたずまいや、机やイスの場所や個数。掃除用具や窓の位置など、ほとんど同じであるのにホッとする反面。小さな差異は存在していた。
例えば黒板に書いてあるチョークの文字。
楓吾には、今日の当番の名前や、消し忘れていた文字を結構正確に目にできるらしいのが、史絵奈には当番の文字はぼやけてしまっている。
反対に、机の横に掛けてある袋の柄や、キャラクターは史絵奈には見えて、楓吾には沙がかかったようにかすれて見えないらしい。
「・・・なんだかお互いに興味のあったものしか、目に再現できないようだなあ。」
だいたい景色の確認をした二人は、楓吾がポツリとつぶやいた言葉に、史絵奈もうなずくのだった。
ちょっとした沈黙の後、史絵奈の方も思うことがあったので口を開く。
「・・・ねえ。さっきから私、不思議に思っていたのだけれど、これだけ喋って、喉が乾かないの。お茶一つほしいを思わない。
お腹もすいてこないし、トイレにも行きたいと思わないのよ。
風海君はどう?」
「腹がすかない?」
真剣な顔でいいつのる史絵奈に、楓吾はブッと吹き出した。
「そう言えば・・・そうだな。」
こんな時に、腹がすかないなんて・・。
脱力気味につぶやく楓吾に史絵奈は膨れてしまう。
「これって大事なことよ。いつまでここに閉じ込められているかわからないんだから、お腹がすいて、喉が渇くと私達、干からびるのは、時間の問題になってしまうじゃない。」
「あぁ。そうだ。」
コクン、とうなずき楓吾は首をかしげる。
「まだこんな感じになってから、それほど時間がたっていないだろ?
緊張で感覚が一時的にでも、麻痺しているかも知れないぜ。
まだそう決めつけるのは早いと思う。」
と、言ってくるのに、史絵奈はうなずかざるを得ない。
「まあ、そうであってほしいと、願うけれどね。
そもそも思念の世界と考えると、逆に喉も腹も空かないのは、おかしくないことなのかもしれない。」
「うん。」
史絵奈が答えると、楓吾はため息ひとつ。
「いつまでこの状況なんだろうな・・・。」
と、小さくつぶやく声に、史絵奈にも答えがでない。
(かのんも大丈夫かしら・・。)
と、確実に異世界に飛ばされただろう友達の事を、心の中でつぶやいた。
(国籍不明な服を身に着けていたかのん。
・・・どれだけ不安だろう。)
教室内で留まったままの史絵奈の方はというと、なぜだか切迫感が感じられない。
パニックから脱した楓吾が、次々に状況を冷静に判断してくれて、おまけにあーだこーだ。と、会話を弾ませているからかも知れない。
彼の存在が、意外にも安心感を与えてくれるのだ。
史絵奈がぼんやりそんなことを考えていたために、楓吾が窓の方に近寄っていったのを、ついつい見落としてしまった。
「風海君!そこは危ない!」
彼の後姿にハッとなり、二度目の制止をするも、すでに遅かった。
楓吾が窓の外に手をやろうとしている。
彼の動きはスローモーションがかかったようにゆっくりだ。駆け寄って腕を取ろうとするのだが、体が動かない。
ブィンと、音がする。
ビシャと、イヤな音がして、窓枠に血が放射線状についた。
「あつっ!」
あわてて腕を引き抜いた楓吾の腕の先。
掌がなくなっていた。
腕からものすごい量の血液がドボドボと出てくる。
「わぁー!」
目を見開き、楓吾が叫ぶ。残った手の方で出血を抑えようとするものの、そんなものでは、出血は止まるわけがなかった。
床に落ちてゆく血溜まり。
(止血するものを!)
史絵奈は自分の体のあちこちをパタパタやって、ハンカチを取り出すと、彼の側に駆け寄った。
ブルブル震える楓吾の手を離してハンカチで押えるが、当然のように血は止まってくれない。
(そうだ。心臓に近いところを結ぶんだ!)
混乱する思考の中で、ひらめいた処置の方法に思いいたると、直ちにハンカチを広げ、楓吾のほとんど腋にちかい部分の腕を力を込めて引き結いだ。
そうすると、出血の量はみるみる少なくなっていった。
それを見届けてから、楓吾の顔を見ると、蒼白を通り越して、土色に変化してしまっている。
フラフラと、血だまりにしゃがみこんだ彼の体が、痙攣をおこしだす。
「なんでこんな事に・・・ここで死んだら・・・本当にあの世・・なの・・か?
俺・・・まだ死にたくない・・・。」
すがるように史絵奈を見てくる。必死の形相でうめいて、白目をむいた。
痙攣はさらにひどくなる。
「風海くん!」
史絵奈は叫んで彼の体を揺らすが、意識が戻らない。
(出血性ショック!)